桃の節句にまつわる豆知識2024年2月26日(月)
スタッフブログ
今週末の3月3日(日)は「ひな祭り」。お子様のために、ひな人形を飾ってお祝いをするご家庭も多いのではないでしょうか?
本日は、華やかなイメージの「ひな祭り」にかかわるいろんなお話をお伝えいたします。
桃の節句は、もともとは中国から伝わったとされる「上巳(じょうし)の節句」が起源とされています。上巳の節句は、陰暦の3月3日に行われ、邪気を払って五穀豊穣や子供の成長を祈願する行事でした。上巳の節句は、後に桃の節句として日本独自の形態を持つようになりました。桃の花や桃の木が邪気を払う力があるとされ、それが女性や子供たちの幸福を願う象徴となりました。
桃の節句に行われていた行事とは
邪気払いのための行事:上巳の節句では、邪気を払うために柳の枝を使ったり、川辺で柳の枝を流す「流し雛」の習慣がありました。柳は春に新芽を出すことから、邪気を祓い、清らかな気を呼び込むと信じられていました。
子供の健康祈願:上巳の節句は、子供たちの成長と健康を願う行事でもありました。特に女の子について、成長が順調であることや、病気から守られることが祈られました。
五穀豊穣の祈り:農耕社会の時代背景を考えると、五穀豊穣も重要な要素でした。五穀豊穣を祈願し、豊かな収穫を迎えるために、特別な儀式が行われたりしました。
上記のように桃の節句は、古来においては厄払いの儀式であり、華やかなものではなかったようですね。
流し雛のルーツは、中国の風習である「流し雛(りゅうしびな)」に由来しています。中国では、川や海に紙でできた人形を流すことが、邪気払いや厄除けの儀式として行われていました。これが日本に伝わり、上巳の節句において、子供たちの邪気払いと健康を祈願する行事として取り入れられたのです。
流し雛は、川に紙でできた人形を流すという基本的な形を保ちながら、地域によっては柳の枝や竹の節を使って飾りつけられたり、色とりどりの飾りやお雛様を流すこともあります。流し雛の水流に乗って流れ去ることで、邪気や災厄が一緒に流れ去り、子供たちの成長と健康を祝福する意味合いが込められています。
江戸時代になると、流し雛は一般庶民の間でも広まり、地域ごとに様々なスタイルが生まれました。現代でも一部の地域でこの伝統が続いており、観光イベントや祭りで見ることができます。
奈良時代には、宮廷での贅沢な宴や音楽、舞踏が行われており、その中で女児の誕生を祝う儀式も行われました。また、平安時代になると、このような行事が一般の貴族社会にも広まり、女児の成長や幸福を祈る習慣が根付いていきました。
当初、この行事には雛人形とは異なる形態の飾り物が使われていましたが、次第に雛人形が発展していったと考えられています。雛人形の元となったのは、仏教の影響を受けた宗教的な儀式に使われる仏具である「釈迦牟尼仏と弟子たちの仏具」です。これらの仏具は、釈迦牟尼仏を中心に、その周りに弟子たちや供物を模したものが配されていました。
この仏具が日本に伝わり、女児の誕生を祝う行事に取り入れられる過程で、釈迦牟尼仏と弟子たちを女児の成長を祝う象徴的な人形に変化させたのが、現在のひな祭りに繋がるひな人形の起源とされています。江戸時代には、ひな人形がより華やかで独自のスタイルを持つようになり、現代のひな祭りの形が整備されていきました。
現代の日本では、若くして亡くなる子どもも少なくなったため厄払いという意識は薄れ、女の子の祭りというイメージだけが残されたようです。
現代でも、厄払いまではしなくても、節句の時期は季節の変わり目でもあり、寒暖差によって体調を崩しやすい時期です。花粉の飛ぶ時期でもあり外出を控えている方も多いとは思いますが、定期的に気分をリフレッシュして健康に過ごしましょう。
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この記事を書いた人:株式会社トミス建設(屋号:自然素材ハウス)